【雑記】人とわかりあうって、なんだろう?

こんにちは。

きょうは多くの人が悩む、人とのかかわり合いについてお話ししようと思います。


恋人や夫婦とのちょっとした行き違い、ぎこちない親子の会話、面倒な上司とのコミュニケーション…

ささいな日常のなかに、なんとわかりあえなさが潜んでいることでしょう。



「あの人ともっとわかりあえたらいいのに」とか、

さらに優しい人なら
「あの人のことを、もっとわかってあげたい」とか、

嘆いたり願ったりすることもあるかもしれません。



でもね、最近わたしはこんなふうに思うのです。

「わかりあうって、なんだろう」
「わかりあうことって、いいことなの?」と。



これは先日、所属するカウンセリング団体の方々とお話していた内容です。


カウンセリングにおいて、目の前の人を「理解したい」と思う時点ですでに力みがある。

「理解したい」と思う裏側で、この人はこんな人?と当てにいってるのなら、
それは自分が早く了解したいだけだったり、自分が早く安心したいだけ。

なぜならよくわからない状態がイヤだから。

それはもはや、カウンセラー側の我欲であり傲慢にすぎない、と。


これって案外、日常でも応用がきくのかもしれない。
ふと帰り道に会話の内容を反芻しながら、そう思ったのです。


つまり、
「わかりあう」に期待しすぎない
ってこと。


わかりあう、という言葉に、お互いが溶けあい染まりあうイメージを持つのならなおのこと。


人とはわかりあえないもの。
だから全部をわかろうとしない。
全部をわかってくれなくていい。


そのほうが、
染まることなくいられる相手を、
そのままの自分を、大事にできる。


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「人とはわかりあえない」
という前提にたったほうが、
おたがいノンストレスで寛容になれる気がするのですが、いかがでしょうか。