間違ったって、失敗したって、消えやしない

 

4月に職場が変わってからてんてこまい。

また、5月末から9月末まで通っていたマネジメントスクールの勉強にもてんてこまい。

 

最近ちょっとずつ余力が出てきて、

先月末に、やっと「天気の子」を見てみました。


すごくいまの時代を映したストーリーだな、というのが感想です。

 

www.tenkinoko.com

 

何が正しいかという客観的な指標が失われているなか、

どうせなにをやっても正解かわからないし、

どうせ失敗するんだったら、

個人の主観とか思いをよりどころにして、思い切って次の一歩を踏み出していこう。

  

たとえ失敗したって、それが思い残すことなく生きる秘訣。

 

だから、「正義」の名のもとにおいて、だれかの犠牲に基づく世界を築くの、もうやめにしませんか。

 

わたしはそういうストーリーと解釈しました。

 

異動してきて半年たちましたが、

いまだに挙動不審ぎみでオロオロしている自分には、すごく勇気になりました。

 

完璧主義な傾向のわたしが、

慣れない仕事に、間違わないかヒヤヒヤする毎日って不安でしかないけれど、

 

いろいろ葛藤しながら、

最終的に「もぉぉぉお!いいやダメでも!」と

いつしか開き直ってカラ元気でふるまうことに決めて。

 

不思議なことに、

オロオロする自分も、いろいろ失敗する自分も、

まーいっかーと受け止め、

とりあえず笑っとこう(というか、てへっと笑ってごまかすしかない)

と過ごしていると、

 

前ほど「成長」とか「進化」とかってことにこだわりがなくなってきたんですよね。

 

別に投げやりになっているわけではなく。

 

言い尽くされている表現だけど、

 

揺らぎながら、行きつ戻りつしながらも、

いま「この瞬間」を楽しんで生きられれば、

もうそれだけでいいんじゃないかと。

 

 

それでもやっぱり揺らいでいるときは心細い。

そのときに力になるのは、人との対話。

 

言葉というのは、時間を超えて残り、宿るもの。

 

昔の恩師やかつて一緒に働いたパートさんと交わした言葉が、

そのときはよくわからなかったけど、いまになって蘇り、灯をともす。

 

じんわりと、あのときのあの言葉はこのことかー。

ありがたいなー、恵まれてるなー、などと思うと、

 

それだけでじんわりと温かさに心が満たされ、

成長のスピードなんかどうでもよくなる。

 

 

「天気の子」主人公の帆高が、終盤で言っていた

「もう大丈夫だ」というセリフは、

なんかそういうことのような気がします。

 

当たり前の日常の温かさに包まれた日々を送っていたら、

間違ったって、失敗したって、

あなたは消えやしないし、あなたの魅力はそのまま残る。 

 

そう、だから大丈夫なんです。